- 2011-02-24 (木) 2:18
- 雑記
もにょもにょと自分語り。見たくない人は回れ右してなかったことにしてくだしあ。
1月の初旬に、縁の切れた子がいます。詳しくは1月はじめの文参照。
そしてこの間、別の友人からその子が引っ越すことになったそうです。
私はその事を全く知らなかったし、向こうからも連絡が全く来ませんでした。
その子と最後のやりとりをしたのは、貸していたヘッドマイクやスカイプフォンなどが郵送されてきたこと。紙袋に詰められてリターンしてきました。
旦那はそのことについてなんだかんだと今も心配しているんですが、私の受け取り方は、これが彼女なりの「決別」の印なのだろうな、と思っています。
引越しを決めたのも、その家に残る「最悪の状態」の自分がどうしてもフラッシュバックしてしまうからなのかな。
私も重度のうつ状態の時はそうでした。その頃は実家のお世話になってて、大掃除なんかで帰ってきてたんですが、その度に「一番辛い思いをしていた自分」がフラッシュバックするんです。そして現状を鑑みて、「私には家があるのに、主がほとんどいない家にしてしまったのは自分のせい。私さえいなければ、普通に暮らせたのに」という自責感情が発生し、泣いてしまったりぶっ倒れてしまったこともありました。
まあ、引越しのことを友人経由で情報を得たということは、もう二度と関わりたくないのだろうな、と思います。「腐れ縁」とはよくいったものですが、二人をつなぎとめていたチェーンは既にいつ朽ち果ててもおかしくない状態だったのでしょう。そこに私がとどめをさし、二人を繋いでいた鎖は断ち切られてしまった。
だから、これからはもう「他人」なんだな、と納得している自分がいます。
私はもともと友人があまり多くない上、学校や会社では「当たり障りの無い自分」を作ってなんとか居場所を確保している状態です。なので、深い付き合いは皆無です。
会社というコミュニティから解脱したら、後はただの「他人」。すれ違っても、何事も無かったかのように私は通り過ぎるでしょう。
昔から結構アウトローな私ですし、小学生の時はいじめも体験しましたし。ですから友人関係が切れた時の諦めは、本当に早いです。
恐らく向こうから連絡が来ない限り、私も連絡はしないでしょう。引っ越すということなので、年賀状でのやりとりも今年で終了。ま、彼女が望んでいたことなのだとこちらは解釈してますが。
5月以降の生活の目処もまだ経ってないので、5月以降はどうなるか全く分かりません。4月は楽しみが一杯あるのですが、GW過ぎるとどうなることやら。
とりあえず、書店に行って「エンディングノート」でも作っておくことにします。いつ決行しても大丈夫なように。
私は、あとどれだけ「生きたい」と思う気持ちがあるのかな。それとももう、失くしてしまったんでしょうかね。