- 2010-03-19 (金) 13:31
- 旅行記
今日は、我がA☆I☆BOのみょーしゃんと鎌倉見物に行ってきました。
本当はただの観光のつもりだったのですが、前日になって「名越切通しに行きたい!」とみょーしゃんから要望が来たので、せっかくだし行ってみるかー!ということになり、行ってきました。みょーしゃんの苗字が「
ネットで情報を調べていると、鎌倉からよりは逗子から行ったほうがいいとのことだったので、電車で一駅の逗子駅まで。
降りると、鎌倉行のバスが丁度出るところだったので、あわてて2人して駆け込みました。
…が、乗ってしばらくしてから、乗る路線を間違えたことに気づく私。馬鹿めが!山行くのに海沿いの路線乗ってどうすんの!
幸い、みょーしゃんが鎌倉周辺の地図を持っていたので、山通りの路線に近いバス停で降りて、歩いて登山口まで向かうことに。
みょーしゃん曰く、自分でナビをすると間違いなくハプニングに見舞われるけど、相手に任せてもハプニングが起きてしまうそうな。今回がまさにそれだw 逆に君に救われたよありがとうw
長くなるので、続きは下からどぞ。
すると、あちらこちらで見かける「名越」の文字。本当にゆかりがある土地なんですねえ。(一部写真を加工しています…ってバレバレかw)
住宅街を抜けて、人一人がやっと通れるくらいのフェンスの隙間を通って、山道へ。某サイトによると、ここで行き止まりと勘違いして帰っていく人がいるそうです。いくらなんでもそれはないだろうw
この時の2人の格好は、どう見てもハイカーのそれじゃないです。みょーしゃんはブーツだったし、私も上着1枚脱いだら薄手のカットソーだけですよ。通りすがりの人の格好を見てると、やっぱり山登り用のしっかりした格好なんですよね。なんというザ・場違い。
朝に雨が降ってたので、ぬかるんだ山道をやっとこ登って、標識がある所まで辿り着きました。
ここから各所への分岐点になるんですが、某サイトによるとここが切通しと勘違いして帰っていく人もいるそうな。いやいやいや、まだ全然切り通ってないからここ!
とりあえず、切通し→大切岸→下山というルートで行くことに。
今度はひたすら下り道のみ。上り道に比べると大分楽でした。
そして、ついに辿り着きました。ここが有名な「名越切通し」です。
ここは本当にびっくりです。人一人がやっと通れる位に削り取られた岩の隙間、大きく切り立った崖。普通の山の中では絶対にありえない光景です。夢中でシャッター切ってました。写ってるのはもちろんA☆I☆BOですw
しばらくそこから降りたら、案内板がありました。写真圧縮したら文字が潰れたので、手打ちで書き写してみました。
国指定史跡 名越切通(なごえきりどおし)
Nagoe Kiri-Doshi
(the pass cut through the mountains)昭和41年4月11日指定
昭和56年10月13日追加指定
昭和58年11月26日追加指定名越切通は、鎌倉時代に尾根を掘り割ってつくられたとされる通行路で、鎌倉幕府の事績(じせき)を記した『吾妻鏡(あずまかがみ)』の天福(てんぷく)元年(1233年)八月十八日条に「名越坂」として登場するのが史料に見られる最初です。近世以降は「鎌倉七口」のひとつとしても数え上げられ、鎌倉と三浦半島方面とを結ぶ道として重要な役割を果たしてきました。切通の周辺には、鎌倉の防衛にも関係すると考えられる平場や切岸(きりぎし)(人工的な崖)、やぐら(四角い横穴に石塔を建て、納骨・供養する施設)や遺体を火葬した跡なども多く分布しており、中世都市鎌倉の周縁(しゅうえん)の歴史的景観を大変良く残しています。
現在の切通のすがた
現在の名越切通の道筋には、尾根の岩盤を掘り割って道をつくり、両側が急な崖になっているところが3ヵ所ありますが、最も高く切り立ったこの部分を第一切通と呼んでいます。鎌倉時代に外敵の侵入を防ぐために、あえて狭くつくったと言われていますが、発掘調査を行ったところ意外な結果が明らかになりました。
現在私たちが歩いている切通は路面の幅が1~1.5mほどですが、その下に複数の古い道路面が重なって発見されました。最下層(現地表から約60cm下)の道路面は幅2mほどで、そこから18世紀後半以降に作られた陶磁器が出土しました。これによって、現在の道筋の地下に埋もれている最も古い道は、江戸時代につかわれていたということがわかったのです。
その後、地震などによって両側の崖が崩れるたびに道が埋まり、そのつど整地・修復して新しい道をつくったため、どんどんかさ上げされて路面が高くなったと思われます。一時期は道幅を広げる工事も行われたようで、路面の幅が約3m、両側に排水のための溝も設けられていました。しかし、明治16年(1883年)にトンネル道路が、同22年(1889年)に横須賀線が開通すると、切通も幹線道路としての役割を終え、埋もれるがまま修復の手を加えられることもほとんどなくなり、最終的に現在のようなすがたになったと考えられます。
発掘調査では、鎌倉時代の路面は確認できませんでした。切通に面した崖のかなり上のほうに鎌倉~南北朝時代頃に掘られたと思われるやぐらがあることから、当時の道筋が今とあまり変わらないとすれば、その道は今よりずっと急坂で、高い位置を通っていたのかも知れません。
一方、時代が下って、室町時代の僧堯恵(ぎょうえ)は、名越切通の様子を「畳々(じょうじょう)たる巌(いわお)をきり、山をうがち、旧跡の雲につらなる」と述べています(『北国紀行』)。中世の後半には、通行しやすいように掘り下げられていたことを示しているとも思われます。
鎌倉幕府執権(しっけん)北條氏によって鎌倉の守りの要(かなめ)としてつくられたと言われる名越切通は、当時のすがたそのものではないと考えられますが、重要な交通路として近代にいたるまで長く使われ続けてきた貴重な史跡であることに変わりはありません。
さっきの場所、第一切通というんですね。そしてここは、鎌倉時代からの大事な幹線道路だった。これにはさすがにびっくりしました。予備知識ほとんどなしで来たもので(ヲイ)
ここから進んでしまうと亀ヶ岡団地に出てしまうので、横にあった階段を上ってみることに。途中の階段がやたらと急で、なんとか上りきりました。
なんてことはない、ただの展望台でした。しかも狭い。しかも木々が茂っていて何も見えない。おーいなんじゃこりゃー!せっかく上ったのに、急な階段を降りる羽目に。階段って、上るより降りる方が怖いですよね。
横の階段は無意味です。戻るときはそのまま来た道を戻ってくださいねー!
そしてさっきの標識の所に戻ることに。途中で、こんな案内板も見つけました。
年代を見る限り、追加指定の時にでも立てられたのでしょう。某サイトでは、これを見て満足して帰る人もいるとか。えええええ、私たちなんか行きに全然気づかなかったのに!(周りの風景を楽しめよ)
となりに指定史跡の範囲が描いてあったんですが、木の陰が邪魔して見えませんでした。近くに寄ろうにも茂みが邪魔。案内板の意味ねえええ。
…ということで、先程の標識のところまで戻ってきて、今度は大切岸を見に行くことに。
ここで注意なのですが、大切岸を見に行くには、法性寺の墓地から見に行くのが一番いいです。案内板には大切岸への道案内があるのですが、そっちに行くと岸の真上に来る羽目になります。ご注意を。
途中にあった無縁墓地と動物墓地があったので、2人で合掌。ここに来るまでに猫を結構見かけたので、あの猫達に幸あれとか言ってましたがw
そして案内板に惑わされず、法性寺方面に歩いて行き、墓の間をすり抜けて端の方まで行くと、見えました、大切岸です。
一説には、鎌倉幕府が防衛の為につくられたとか言われていましたが、調査の結果、ただの採掘場だったというのが一般的な見解のようですね。
この墓場の周りには、なんだか人工的に切り取られたっぽい穴があちこちにありました。これが、先程の案内板に書いてた「納骨・供養」する為の場所だったんでしょうか。
一番高い場所があったので、上ってみると、なんといい景色。三浦海岸まで見渡せます。
入り口に鳥居があったので、どうやらこの辺りの山神様を奉っているような石碑が建ってました。2人で合掌して下に。
帰り道、不自然に切り取られたような部分があったので入ってみました。
四角い空間になにやら空気穴っぽいものが…も、もしかしてこれって…昔遺体を焼いてたって言う…。
( ゚д゚)ポカーン
(( ;゚д゚))アワワワワ
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブルガタガタブルガタガクガクガクガクガク
無知とは怖いものです…。
帰り道、何故か3匹のにゃんこがたむろってました。
最初は警戒心むき出しのにゃんこ達でしたが、そのうち黒にゃんことシマにゃんこがすりよってきました。
もう1匹は触られるのは嫌だけど、でも離れたくないという素直じゃないにゃんこでした。ツンデレですねわかります。
10分ほどにゃんこと戯れた後、下山することに。去り際に、シマにゃんこが動物墓地の方に向かっていくのを見ました。仲間でも降りてきたのかな?
そのまま幹線道路に出て、目的地から遠く離れた(というか目的地がどこか知らなかった)バス停でバスに乗って、無事鎌倉駅前まで帰ってきました。
別のバスに乗っちゃったと判った時は2人でどうしようかーと思ってたんですが、正直、行って来てよかったです!山道も次第に慣れて来て、この先はどこに続いてるんだろーというワクワク感が生まれてきました。地図で見てるともっと長いかと思ってたんですけど、実際行ってみるとそうでもなかったです。
でも、みょーしゃんの携帯の歩行距離見てみたら、1.8Kmしか歩いてないってどゆことよ!絶対それ以上歩いてると思うんですけど!(この話をしたら、後日クマ様から「それ直線距離だし、高低差考えてないから」と言われました。携帯についてるナビ子ちゃん同様、中途半端な奴め)
でも、2人とも足元泥だらけで、駅前まで帰ってきた早々百貨店のトイレに駆け込み、靴の泥ぬぐいしてましたw 登山する時は汚れてもいい靴でいく、は鉄則でしたね。正直、登山なめてました(^ ^;)ゞ
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Comments:2
- みょーし 10-03-29 (月) 18:33
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へい、ナゴエ家の末裔、周囲を巻き込む最強方向オンチ(迷惑)ナゴシです。
(まあうちは分家の分家の分家の以下続くなので全然すごくないんですが)楽しかったね!!!突然のわがままに付き合ってくれてありがとー!!!
ていうかあたしジュンになってるー!!!(小躍り)
トロも好きだけどジュンが一番だった事をわかっていらっしゃる♪さすが我が相棒ww付き合ってくれたキミがパーフェクトな日記を記してくれているのに
当のあたしが更新怠っていてゴメンナサイ…てか写真下さい。(責任転嫁) - 時雨 10-03-30 (火) 22:31
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>みょーしゃん
やほー!ご縁がある地の探索楽しかったよね!
今となってはあのハプニングもいい思い出ですwええ、加工絵はジュンにすると決めてましたさ( ̄ー ̄)ニヤリ
ちゃんと表情も変えて頑張って描いてみたんだZE!はっΣ( ̄□ ̄;
そういえば写真送る言って送ってなかった!ナンテコッタ!
毎日キミのブログでの更新を楽しみにしてる場合じゃなかったよ!
(この有言不実行め)
後でまとめて送ります…マジスンマセン _○/ ̄l_ /平伏
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