- 2011-09-19 (月) 23:56
- うつ病日記
ときたま恒例の書きなぐり。単なる自己満足記述なので興味の無い人は回れ右。
今日は友人の趣味の手伝いに行った。
個人的ノルマを終了させた後、その友人はとても疲れた顔をしていた。
私は、「いつでも助けになるから」と友人に言って、帰ってきた。
その時は本心から出た言葉だったが、今思えば、私のその「言葉」が、友人を逆に悩ませ、苦しませているのかもしれない。
友人の趣味を「義務」と思わせているのは、私がよかれと思ってかけてきた「言葉」なのかもしれない。
一度口にした「言葉」は、もう取り消せない。それを私は、何度も身をもって体験し、後悔してきたというのに。
学習能力がないのではない。近くなりすぎたのだ。ある程度の距離を保っていれば、そこまで踏み込むことはなかったのかもしれない。
それも幾度と無く学習してきたはずだ。分かりきっていたことだ。だから私は人付き合いをするとき、一定の「壁」を作り、近くならないように気をつけていた。
その友人が同じ病気を抱えているということで、その「壁」を壊してしまっていたのだ。
なんと愚かな事か。
今日行かなければ、友人をそこまで追い詰めることはなかったのかもしれない。でも、もう遅すぎる。
このどうしようもない後悔を、私は自分にぶつけることしか解消する術を知らない。
その度に、私の中で私を殺そうとする「私」が姿を現す。
私の今現在残っている寿命を、希望する10人の人に分け与えることが出来るのならば、すぐにでもそうしたい。
今の私の中で、自分の命の「価値」は、その程度でしかない。
それを直視することを避ける為に、仮想現実に逃げ、ゲームに逃げ、夢の中に逃げる。そうしたところで、現実は何も変わりはしないのに。
私が死んだところで、何も変わるわけでもない。それでも「死」に焦がれてしまう。
結局の所、「生きる」ということ自体から逃げる為に、「死」を望んでいるのかもしれない。いや、恐らくそうなのだろう。
逃げているだけの卑怯者。今の私にはその言葉がお似合いだ。
追記
今の私は、正常な判断が全く出来ないようだ。親切の押し付けばかりしている気がする。
もうこちらからあれこれ言うのはやめることにした。
誰が何を欲しがってるか分からない人間には、過ぎた芸当だ。