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生きる。

昨日、鬱々真っ盛りの姉妹(という名のコミュニティ)3人が集まって座談会してました。

内容が内容なので、興味ないというか聞きたくない見たくない、って方は回れ右。

特に私と一日違いという友人…というか腐れ縁の友人からは、色々な話を聞きました。

彼女の家庭環境はちょっと複雑な所があって、そこには土足で踏み入れてはいけない『タブー』なんだと思い、彼女が話す気になれば聞こう、と常々思っていました。なので、ショックはそれほどではなかったんですが、それだけ苦しい環境の中で生き抜いてきた彼女は、しんどくても苦しくても、時には薬に頼ったりもしながらも、頑張って生きていこうと思っている。その点に関しては、すごく立派にやっているなあ、と改めて尊敬の念を持ちました。

もう一人の友人も涙しながら聞いてました。彼女の涙は、話を聞いて上手く受け答えができない時に生理的に流れてしまうそうですが、どういう形であれ、涙を流すということはそれだけ真剣に話を聞いているということ。でも受け答えに適した言葉が即座に出てこないから、感情的に涙を流してしまう。どういう形であれ、ちゃんと受け止めて、時にもらい泣きをして。人の心の機微に共感できるんだなあと、こちらも尊敬の念を抱きました。

実は、こういうときに上手く涙を流せない自分冷酷なんだなと、ちょっと冷めた自分を省みたりしてましたが。

こういう時に感情を出せる人ってうらやましい。

身内が亡くなっても、葬儀の最中に泣くことって出来ないんですよ。なぜかね。頭の中で、上手く昇華して感情を押し殺す。そういうことには慣れているんで。

でも、一人布団に入り込んで、誰も居ない状態で自分の思考を巡らせる瞬間が生まれた時、初めて私は喪失感を自覚して泣きます。布団の中で。

なので、私には彼女の話を聞いて反芻して、愛情に飢えている友人を慰めて、「私は貴方のことが好きだから今こうして一緒にいるのだ」という本心を伝え、それを伝える為にど直球な歌を歌い(力が抜けるからやめれと言われましたがw 今度会ったら更なるパワーアップVerを聞かせようと計画中)、そんなことしか出来ませんでした。

彼女を見ていると、アダルトチルドレンという言葉が正に当てはまるなあ、と思いました。要は、幼少期から子どもとしての役割ではなく、家族の役割として宛がわれてしまった彼女。相手は子どもとしては見ていないので、褒められたり撫でられたりと、子どもに対して当たり前にするようなことを一切受けていないらしいです。

とある育児書に書いていたのですが、人間の心の大元には自尊心があり、それが満たされて初めてしつけや勉強に繋がっていく。なので、その自尊心自体が崩れてしまうと、上に乗っかっているものも崩れてしまう。

そして、その自尊心をはぐくむ為に必要なことが、「親が子に対して関心を持ち、愛情を持って接すること」なんだそうです。その子どもの個性を大事にし、時に労わり、時に厳しくし、時に「大好きだよ」と伝え、行動する。まあ、よくある「物ではなく気持ち」ってことです。

大人のうつ病で多いのは、このタイプなんだそうです。しかも既に大人になり、『自分』をしっかり持っているので、治療には時間がかかります。

子どもの間に分かっていれば、もう少し彼女も楽になれたのかな。長年付き合ってきて、そんなことに気付きもしなかった…いや、むしろ目を背けていた自分の鈍さに、本当に心底呆れてます。

友人からすれば、私は彼女に持っていない物を全て持っている。けれども、彼女は私には持っていない物を全て持っている。足して2で割れれば丁度いいのになあ。

まあ結論として、色々な友人の本音が聞けて、私も甘えてられないなあ、という焦燥感を抱きましたとさ。

2人とも薬とか病院とかで薬を出してもらいながら、仕事も頑張っている。それだけでも、私から見たらとても素晴らしいことで、褒められるレベルの話だと思ってます。

私の一番の問題は、意欲が沸かない事。こと義務としてやらなければならない事にかんしては、それが顕著にでます。仕事しないと家計回っていかないんですけどね。

最終手段として、もう障害者手帳の交付を考えています。友人曰く「恵まれている貴方がどうしてこうなっているのか分からない」とのことですが、一人になると過食と自責の念が頻繁に出ているんです。先日のODも、それが高じてのことでした。物を食べるととにかく忘れることが出来る。もったいないので吐き戻してはおらず、それが全て肉に変換されてしまっています。おかげで次の大台まで1キロにまで迫りました。わずか半年の間に。

こうする自分もおかしいと思うし、自殺念慮も相変わらず消えていない。なぜか、前向きに考えることができないんです。

他人に対しては考えられるのにね。旦那はそれを「博愛」と言っていましたが、ただ単に自分<他人なんですよ、私の中で。

相手が死にたいと言えば全力で阻止しますが、自分が死にたい時には行動にでます。そんな子なんです。

言ってみれば、私にも自尊心がないんですよね。小中学校でいじめを受けたり自殺未遂したり、こうなるのは全て自分のせいなんだ、といつも自責の念を感じていました。それがそのまま引きずられています。

ぶっちゃけ、「こんなところで書くくらいならとっとと*ね!」って思う人もいるんでしょう。

でも先日のことで、ちょっと自分を客観視することが出来たので、それも含めて今度の診察で話そうと思っています。

死ぬのは一瞬、むしろ生きる方が難しい。

難しい中で、私の得意な「ロジック化」が上手くできればなあ、と思います。

Comments:2

みょーし 10-12-25 (土) 2:23

あれ?
なんでそこにあたしいないんだろう…?(無茶言うな)

うちの妹もしぐれんと似たところがあってね。
人前では絶対泣かないし、泣く時も全く声を上げずに涙だけ流す。
おじいちゃんのお葬式で一人泣けなかった事を誰にも言わずに思いつめてる。
それ以外にも実は色々一人でひっそり抱え込んで、
それが上手い事言葉にならなくて、ずっと黙ってるからどんどん誤解されてくの。

だからわかるぜ、君もツンデレだろ?(えー)

時雨 10-12-27 (月) 5:37

>みょーしゃん

貴方は住んでる場所が離れすぎてるから!
さすがにその為だけに呼べませんて!!

ええ、よく言われますツンデレとは。
それプラスドジっこ属性もあるらしく、
次女と四女は事あるごとに萌えているらしいですよ…。

クマ様からもツンデレ言われます。
おかしい…こんなキャラじゃなかったはずなのに…。
自覚が無いから困ったものです。ははは。

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